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Интервью на японском“LAST VISUALIVE”へ向けてGACKTの壮絶なドラマが始まる
デビュー以来、ひとつの物語を音楽、映画、舞台とあらゆるメディアで表現してきたGACKTの“MOON SAGA PROJECT”。最新シングル「ARROW」は、そのライヴ版たる“VISUALIVE”の最終章で大きな役割を果たすという。そこに込められた彼の美学、そして崇高なる想いとは?
──来年3月より、コンセプトツアー“VISUALIVE”が7年振りに幕を開けますが、同時にこれが“VISUALIVE”の最終章になるとも告知されていますよね。となると今回のシングル「ARROW」も、そこと何らかの関係を持った作品ということになるのでしょうか?
関係のあるものしか作らない。“VISUALIVE”のもとには“MOON SAGA”というヴァンパイアの物語があって、その話を時代ごとに切り取ってライヴ、アートワーク、映画で表現し続けてきたのが、いわゆる“MOON SAGA PROJECT”と呼ばれるものなんだよ。例えば『MOON CHILD』(2003年公開の映画)もそのひとつで、これは近未来のヴァンパイアの話。で、物語が近未来から現代、過去と戻っていく中で、そのヴァンパイアの起源は日本にあり、そこで辿り着いた源義経の物語を、近年『MOON SAGA-義経秘伝-』という舞台でやってきて。今回のライヴっていうのは、それをいろんなシーンに切り分けて音楽で表現していくってものなんだ。要するに、その精神世界を音と映像と演出で魅せていくもの。この「ARROW」は物語の一番最後に当たる曲で、ライヴはこの曲からスタートすることを想定して作ってる。つまりは、終わりから始まるってことかな。
──だから、荘厳な響きの中で友が倒れていく描写があったりと、非常にドラマチックな楽曲になっているんですね。
うん。ただ、実際に歌うボクが鎧を着て義経になるのか?って言ったら、そんなことはない。予想は裏切り、期待には応える。それがボクのやり方だし、普通の人が予想することは外すよ。もっと客観的に、過去の物語として上手く演出していきたい。自分の頭の中で常にコンサートの演出も含めて楽曲を作ってるから、“ここにはこの曲、あっちにはこの曲”っていうはめ込みが必要なんだよ。それでイメージを膨らませていった時、今回の“LAST VISUALIVE”の始まりには、この曲が必要だった。だから、世界観自体はもちろんあったんだけど、それを言葉にまとめるのがすごく時間がかかっちゃって。自分が表現したいことと想いをバーッ!と文字に書いても、それ全部を歌うには尺が足らないから、相応しい言葉のチョイスをしながらどんどんカットしていかなきゃいけない。それでも今回の「ARROW」は、通常の曲よりも歌詞の分量としてかなり多い。
──つまりは、それだけ書きたい想いやメッセージがあふれていたということでは?
ちょっと女性には理解しがたいことかもしれないけど…男って美徳や理想の中で生きることをやめたらもう終わりなんだよ。もちろん現実が厳しいってこと、求めるものが簡単にかたちになるわけないことは、誰だって分かってる。それでも死ぬまで理想や夢や美徳の中で生きることができる生き物だから、女性からすると男って子供じみてるように見えるわけじゃない? でも、そこに死があったとしても、最後まで自分が捨てられないものを抱えて諦めずにもがいている人たちを支えるのが女性だとボクは思っていて。それがどれだけ辛いことかっていう“現実”を理解しているから自分はやらないし、“この人はなんでこんなに苦しい道を進むんだろう?”と疑問を持ちながらも支えて続ける。それが男と女の役割が分かれていることの意義だと思うし、どっちが良いとか悪いとかではなく、そのふたつがあるから時代が進んできたんだよ。苦しみや悲しみといった悲痛な叫びの中にある美徳を求めることが男の美学であって、そうやってもがいている人の姿を見て“自分もやらなければ”と触発されて動きだすヤツが現れる。人の歴史はその繰り返しだよ。
──もちろん義経も、そうして美徳や理想を追い求めた男のひとりだと。
全ての時代にそういう人がいるっていうこと。じゃないと時代って動かないし、何も変わらない。悲しいのは彼らがトップに立つことは少なくて、最終的に椅子に座るのは、その横でふんぞり返ってる人たちなのかもしれない。けど、時代を変える連中っていうのはソコに興味はないんだ。たとえ犠牲になったとしても、それで自分の生まれてきた意味が存在するのなら、あえて礎になる覚悟はできている。そこで逃げるか逃げないかっていう判断は、自分の想いの強さに比例する。で、歴史を見ると、その役割を果たした人物のほとんどが男で、やっぱりそういう生き物なんだよ。よく“危ないよ!”って言いながら2階から飛び降りて、怪我して泣いてる男の子がいるじゃない? で、それを見た女の子たちが“バカだな”って笑うけど、やっぱり男って“ソコに何かあるんじゃないか?”って思っちゃうんだよ。バカだから。でも、それに冷めてしまうと、すごくくだらない人間になる。
──この曲が高いドラマ性を持ちながらも普遍的なメッセージを感じさせるのは、そういう想いがバックグラウンドにあるからなんですね。《美しく散れ》という歌詞の裏にも、理想とする未来のために犠牲になる想いがあるから、サウンドも非常に美しく、力強く響いてくるし。
だから、今、立ち止まってる人がいたら、一歩足を踏み出してほしい。ボクの仕事っていうのは人の背中を押すことで、言ってみたらそれが宿命みたいなもんでさ。ただ悲しいだけの曲を書くこともできるけど、やっぱり聴いた人の背中を押せないと意味がないんだよ。あと、今の時代で特徴的なのが…例えば、イタリアに旅行に行ったとするじゃん。そこで現地を自分の目で見て、感じて、触れて、周りの人と話してっていうプロセスを経た上で、ボクらの世代は感動する。だから、グーグルマップを叩いただけで“うわ、コレってスゴいな!”とか言ってる若い子たちに対して、“行った気になってるだけだ”って言ったりする。でも、それは間違ってる。彼らは行った“気”になってるんじゃなく、感覚的には本当に行っている。そういう、ボクらにはない特殊能力を彼らは持っているんだ。
──なるほど。特殊能力という捉え方は新しい。
例えば、ボクらに置き換えると、東京から大阪まで歩いていた時代から、馬、馬車、電車、車と変化して、今では飛行機で行くのが普通になってる。この時代に誰かが“馬で大阪に行く。それでこそ得られるものがある”と言ったら、“バカじゃない?”って言われるよ。それと同じで、今の若い子からしたら“だってパソコン叩けば出るじゃん? なんでわざわざ高いお金払って現地に行かなきゃいけないの?”って思う奴らもいる。もちろん、そこで食べたものの味だったり、出会った人の話になったら彼らはついてこれない。だから、行くってことには実際に大きな意味もあって。つまり何が言いたいかっていうと、“行くだけ”という行為に関しては、ボクらよりはるかに簡単な手段で果たせるようになっている感覚を持った人たちがいるってことさ。だから、そんな時代の子供たちや若い世代と向き合うには、自分たちもその感覚を手に入れた上で話をしないとダメだし、特殊能力を持つ彼らに対して敬意を払うべきなんだ。だって、ボクらは1時間のテレビ番組が普通だと思っているけど、彼らは“長すぎる”って言うんだから。
──そうなんですか!?
今、YouTubeだったら2分でいい。彼らは2分で完結できる特殊能力を持ってる。でも、ボクらにはボクらにしかない古き良き体験もある。それをお互い否定せずに交換できれば、互いに知らない時代の感動を共有できるわけで、これって同じ時代を生きてるボクらと彼らの間だけの話じゃないんだよ。1100年代の話である義経の物語を通じて、この古き良き時代の想いを今の人たちに伝えるというのも、今、話したこととまったく同じ。特に凄まじいスピードで進歩してる現代、それを意識してやっていかないと、地球規模で大切なものを失ってしまう…ってことなんだよ。時代っていうのは、常に同じ悲劇や同じ罪を犯し続けて前に進んでいるから、その罪もどんどん大きくなっている。だから、このままだと人類は滅びてしまう、そんな不安定な状態でいることをボクらは認識しなきゃダメなんだよ。
──時代を遡ってストーリーを綴る『MOON SAGA』に、そんな意義もあったとは。もしや、そういった時代背景が、GACKTさんに“人の背中を押すことが自分の使命”と思わせる一因でもあります?
いや、それをボクが選んだってだけ。ボクは企業の社長たちとすごく親交が深くて、彼らは何百人の従業員を使うことはできても、その背中を押すことはできないって言うんだよ。ボクみたいに人の背中を押すっていうのは選ばれた仕事であって、誰にでもできることじゃないから、これからもできる限り続けてもらいたいとは言われる。それも冷静にね。やっぱり上に立つ者って、何がこの世の中に足らないのかっていうのを、よく分かってる。もちろん、それは自分でも認識してることなんだけど、いつまでもこのままできるとは思ってない。だから、今回の“LAST VISUALIVE”っていうのは、自分の中で“まず、ここまではやろう”と決めたひとつの区切りであって、これがボクにとって幕引きになるのか、また新しい道を走れるのかはボクにも分からない。やり続けるには努力と体力と精神力が必要で、やっぱり永遠には走っていけないんだよ。身体がどこまで持つのか?という問題と向き合い続けてきたのも事実だし、この17年…バンドを入れると22年かな? ずっと“GACKT”をやってきて、恐らくは心も相当やられている。だから、自分で線引いて、そこまでは走り切ろうと決めたから走ってこれたんだよ。あとはその線を越えた上での判断になる。
──その想いは、志半ばで散りゆく義経の姿を描いた「ARROW」にも通じる気がします。
単純にボクの身体から出てるものだから、自分の想いとは重なる。あとは、この曲になぜ“矢”という言葉がたくさん出てくるのか? それぞれの解釈で感じて、考えてほしい。きっとすぐに出てくる答えと、しばらくして出てくる答えは違うだろうけど、その過程が意味のあることになる。
──ちなみに最後のサビには《今はまだ 描いた未来が訪れはしないけど》というフレーズが登場しますが、GACKTさんの描く未来というのはどんな姿なんでしょう?
ナイショ。
──えぇ!
そんな答え合わせみたいなことしたらダメだよ(笑)。まぁ、言えばたくさんあるからさ。ただ、自分の中で描いてる夢は、最後まで追い続けるつもり。ひとつは…日本人が本気で日本人であるということ、日本人が作ってきた文化を海外にもっと自分たちで示していく糸口やきっかけを作ることは、今やってる。それができないと日本は本当にダメになって、日本人の尊厳もなくなる。
──美学を追求する男の生き様を、まさにGACKTさんご自身が体現していらっしゃいますよね。“LAST VISUALIVE”への構想も、着々と固まっているのでは?
うーん、機構的な部分では四苦八苦してるね。例えば、義経の舞台ではプロジェクションマッピングを使ってみたけど、今の音楽シーンで思い通りに活用するには、まだ技術的に足らないことも分かったし。まぁ、楽しみにしてて。もしかしたらライヴ飛ばすかもしれないよ。“あぁ、ごめん。やっぱりできなかった!”って。ウソウソ!(笑)
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